一点素心。 |
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| たまたま何の気もなく見ていたTV 『カンゴロンゴ』で http://www.nhk.or.jp/kango/past/past002.html
投資の心得を…
『一点素心。』
確かに、 株安で資産が大幅に目減り、、、
今回だけではなく貯蓄から投資に回した資金は 相当減ってしまいました。(7割減です。。。)
今日のニュースでは 欧州、アメリカともに反発したようです。
明日の日本株は間違いなく反発します。
ここは我が家の『公的資金の投入の場面』だと 更なる貯蓄から投資への資金運用を考えましたが
ここは 『一点素心。』で行きましょう。 ----------------------------------------------- 番組のHPから引用
『一点素心。』 加藤教授のお言葉の心一点素心。 [いってんそしん]
「一点素心」は「一点の純真な心」という意味です。
今から四百年くらい前、中国の思想家・洪自誠の著作『菜根譚』の中に、 「友と交わるには、すべからく三分の侠気(きょうき)を帯ぶべし。 人となるには、一点の素心を存するを要す」 という言葉が出てきます。 友だちとしてつきあうときは、打算ぬきの義侠心をあるていど持っていなければならない。 人間らしく生きるためには、 ほんのわずかでも純真な心を持つ必要がある──という意味です。
男性のなかに女性が一人だけいることを「紅一点」と言ったりしますが、 「一点素心」の一点も、これと似た意味です。 人の心の奥底には、欲望や嫉妬など、 ドロドロとした感情がうごめいている。 世の中で生きてゆくためには、そんなドロドロした感情も必要。 とはいえ、たった一点で良いから「素心」をもつべきである──と『菜根譚』は説きます。 あえて「良心」と言わず、「素心」と言うところがミソです。 人間の心はもともと良いものなのだから、善とか悪とか身構えず、 自然体の純心な心を一点だけもとう ──というのが『菜根譚』の主張です。
『菜根譚』という書名は、 「人生の教訓は、野菜の固い根っこと同じで、 噛めば噛むほど味が出る」という意味です。 人生訓の本『菜根譚』は、中国ではあまり読まれず、 江戸時代に日本に紹介されて以来、 むしろ日本人のあいだで愛読されてきました。
今の世の中、人の欲望につけこむ悪徳商法や、 人の弱みにつけこむ人騙しが、いろいろと横行しています。 ドラマの中で、カンゴロンゴは「一点素心」という言葉を、真実に目覚め、 自分自身を迷妄から解放するキーワードとして使います。
今回の相談者、海野三千雄(斉藤暁さん)は、 今までの相談者とは異質のキャラクターです。 「こづかいていどのお金をかせいで、 自分の年老いた母親を、温泉に連れて行ってあげたい」 云々と、 しおらしいことを言って、カンゴロンゴから易(えき)のやりかたを習います。 しかし海野の正体は、詐欺師でした。 海野は、カンゴロンゴから習った知識を悪用し、 「株投資の必勝法を伝授する」と称して、投資塾を始めます。 その後、株価は下落。 怒った塾生たちは、海野をつるしあげます。 海野は、株投資の失敗をカンゴロンゴのせいにします。 満月の夜、カンゴロンゴは、娘を連れて、 海野の自宅兼投資塾に乗り込みます。 ここでカンゴロンゴは、大芝居を打ちます。 「株の、本当の必勝法を伝授しましょう」 塾生たちが喜んで謝礼金を差し出すと、カンゴロンゴは表情を変え、 「あななたちは、何度だまされれば気がすむのですか!」 と一喝します。そして夜空の満月をさし、海野と塾生たちに、 「一点素心」 というお言葉を与えます。 株式市場では、誰でも平等。 自由公平に参加できる。 一部の人間だけが有利な「株の必勝法」は原理的にありえないし、また、あってはならない。 しかし人は、欲望に目がくらむと、 ありえない幻を求めるようになる。 ドロドロとした地上生活に汲汲(きゅうきゅう)としていると、心が汚れ、真実が見えなくなる。 ときには天空のすんだ月を見あげ、 心をとぎすましなさい─ ─と、カンゴロンゴは説いたのです。 海野は感動し、生まれ変わることを誓います。 彼は空をにらんで、自分の新たな夢を叫びます。 「一攫千金(いっかくせんきん)!」 さすがのカンゴロンゴも、思わずズッコケます。
海野は詐欺師ですが、どこか憎めません。 なぜでしょう?
彼の「お金がほしい」という欲望が、 あまりにも純粋で、 ほとんど彼の「素心」になってしまっているからかもしれません。
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2008年10月14日(火)00:13 | トラックバック(0) | コメント(0) | ひとりごと | 管理
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